宮沢賢治とタッピング一家
盛岡城跡公園の芝生広場に宮沢賢治の「岩手公園」の詩碑があります。私はこの詩がすきです。宮沢賢治がタッピング一家のことを書いた詩ですが、とてもリズム感があり その時代にタッピング一家と宮沢賢治もこの公園を散策していたのだと感じるからです。
「岩手公園」 宮沢賢治
岩手公園
「かなた」と老いしタピングは
杖をはるかに ゆびさせど
東はるかに 散乱の
さびしき銀は聲もなし
なみなす丘はぼうぼうと
青きりんごの色に暮れ
大学生の タピングは
口笛軽く 吹きにけり
老いたるミセス タッピング
「去年(こぞ)なが姉はこゝにして
中学生の一組に
花のことばを教えしか」
弧光燈(アークライト)にめくるめき
羽虫の群のあつまりつ
川と銀行木のみどり
まちはしずかにたそがるる
賢治
調べによるとタッピング一家は明治28年宣教師として来日し、東京中学校(後の東京学院)に赴任しその後明治40年盛岡に来て宮沢賢治と出会いがあったということです。
宮沢賢治とタッピング一家はこの公園を散策したのでしょうね。
この石碑は目立つところにあるとはいえませんので、見逃してしまっている方々もいると思います。
私も気づいたのは数年前でした。
初めて読んだときは、このリズム感のある詩が新鮮で時代は変わり景色もだいぶ変わってはいますが、確かに「川」と「銀行」「みどり」は今もある…。
同じ場所で同じ景色を見ているのだなと思いました。
今は盛岡城跡公園といいますが、数年前までは「岩手公園」と呼ばれていました。私たちの世代はたぶん今でも「岩手公園」と言っている人が多いと思います。
私が幼稚園の頃は公園内に鳥とか鹿とかいる小さな動物園があった記憶がありますね。
小学校の時は、新しい自転車で遊びに行った帰りに鶴ヶ池に自転車ごと落ちて腰から下が泥だらけになったまま中ノ橋を渡って家に帰った恥ずかしい思い出があります。
自転車を離せば、落ちなくてすんだのですが新しい自転車を池に落とすわけにはいかなくて手を離せず、私もいっしょに落ちたのでした!
盛岡にお住いの方であれば、「岩手公園」の思い出がある方がたくさんいらっしゃると思います。
今までも、これからも「岩手公園」は
「川」「銀行」「木のみどり」の景色が望められる公園であってほしいものです。
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