「啄木新婚の家」は武家屋敷
望郷と漂泊の天才詩人といわれる石川啄木。波乱が多い人生で27歳と短い人生ではありましたが、華やいだ青春時代をここ盛岡で過ごしたそうです。啄木、新婚当時の住まいを見学してきました。
武家屋敷
明治38年6月4日、啄木一家(両親、妹、啄木夫婦)5人は8畳と4畳半に玄関だけという借家住まいが始まりました。
しかしながら、啄木夫婦がここで生活したのは3週間あまり。
すぐ盛岡市加賀野1丁目に引っ越したそうですが、盛岡市内の啄木遺跡といえるのはここ「啄木新婚の家」だけということです。
またこの家は盛岡市内に残った1軒だけの「武家屋敷」で盛岡指定有形文化財でもあります。
武家屋敷の作りは簡略化された書院造で町家とは異なっているということ。
分かりやすく言うと、当時のサラリーマン住宅であるそうです。
武家屋敷の間取りは今の私たちの住宅の基本になっているそうで、改めて私も認識させられました。
啄木ご夫妻の部屋は4畳半ですが、とても素敵なお部屋でした。
ご覧ください。
他にご両親と妹さんの部屋、啄木と節子さんの結婚式を挙げたお部屋も見学できます。
この建物は、藩政末期(推定)に建築された木造平家建て。
盛岡は城下町ですので、このような屋敷が何軒もあったのでしょう。
できれば、もっと残してほしかったです。
茅葺き屋根は防火のため鉄板で包んでいるそうです。
貴重な盛岡の1軒だけ残った武家屋敷。
そして「啄木新婚の家」。
この家に玄関は二つありましたが、啄木が使用した玄関は入るとすぐ畳の小さなスペースがあり(飾りとしての)火鉢が置いてありました。
昔の写真で、火鉢が部屋の所々に置いてあるのを見たことがありますが…この玄関の火鉢はなんとなく温かい雰囲気を醸し出していて、啄木が出入りするのを想像してしまいました。
ここを見学して、「石川啄木」の作品をもっと知りたいと思いました。
盛岡市内には石川啄木歌碑がいろいろなところにありますので、まだ行ってないところを巡ってみようと思います。
皆様も「どうぞおでってくなんせ」
「啄木新婚の家」
岩手県盛岡市中央通3丁目17-18
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